MHProducts (MotoHouse)History

MHP代表 山下和男について

株式会社MHプロダクツ 代表取締役 山下 和男
1947年 三鷹市にて誕生
1964年 日本にサーキットが出来始めた頃、ロードレースに興味を持ち、船橋サーキットで走行していたが、トレーニングのつもりでモトクロスを始める。近くで走行するには多摩川河川敷が最適の場所であり、時間を作っては練習に励む。モトクロス仲間も増え、各地で開催されるレースに出場。表彰台に上がるうちにモトクロスにのめり込む。
ある日、ギャップの有る河川敷のストレートを250ccで走行中、土手の上を併走していたカブにあっさりと抜きさられ、ギャップがなければ50ccのほうが速いと気づく。そしてギャップを感じないサスペンションが絶対に必要だと感じた。その後、サスペンションの構造・動作性能の研究を重ね、車体作りに至るまでモディファイの 本髄を追求し続けた。

  • 1968年 全日本モトクロス大会に於いて250ccと251cc以上のチャンピオン獲得
    【当時、絶対に不利といわれた4サイクル2気筒CL72に自らモディファイと軽量化(153~117kg)を施して出場】
  • 1981年東京都世田谷にてバイクショップMOTO HOUSEとしてスタート
    MFJ、MCFAJ、MFJ新潟のレースに出場
  • 1987~1997年ジャパンスーパークロス神宮スタジアム、東京ドーム、西宮スタジアム、福岡ドーム、千葉マリンスタジアムに於いて多数のライダーをサポートした。Jim Holley(アメリカ)Mickey Dymond(アメリカ)Kyle Lewis(アメリカ) Tim Ferry(アメリカ)Jimmy Buttom(アメリカ)Shaun Kalous(アメリカ)Jeff Grass(アメリカ)Brian Manley(アメリカ)Cris Young(アメリカ)Tony Amaradio(アメリカ)Trevor Meajer(アメリカ)Frederic Bolley(フランス) Pekka Vekomen(フィンランド)Craig Duck(オーストラリア)Steven Andrew(オーストラリア)Shane King(ニュージーランド)
  • 1990年株式会社MHプロダクツ設立
  • 2003年モトクロスの練習場所であった多摩川に移転2017年 現在に至る60歳を超えてからはマスターズ(レジェンドクラス)やグレンへレンで開催されたワールドベテランクラスに出場。今なお、MCFAJ、MFJ新潟のレースなどに参加している。

Jim Holleyとの出会い

1987年11月に神宮球場で開催されたジャパンスーパークロスにJim Holley氏が出場するため、弊社で用意したバイクの確認に来店。YZ250(’88)MH スペシャルマシーンの説明の後、気に入った様子。近くで乗りたいとの要望で多摩川河川敷で試走。
これをきっかけにJimさんとの交流がはじまる。

1988年ジャパンスーパークロス神宮球場、西宮球場で再びサポート。
1997年 ジャパンスーパークロス千葉マリンスタジアムに於いてJimさんは
Jean Michel Bayleとデモ走行のため来日。その際、10年前に彼がスタジアムを駆けたYZ250MHSPでオフロードヴィレッジを走行した。観客も彼と一緒に走れるということで多数集まり大盛況。懐かしさも伴ってお互いに感慨深いものがあった。

その後、渡米の度にJimさん宅を訪ね、彼もまた、来日の際には必ず来店してくれてます。
父であり、彼のメカニックでもあったALさんとも同様に交流を深める。
残念なことに、Alさんは5年前に他界。

2017年8月Jimさん何年かぶりの来日。
2017年10月Alさんの墓前で合掌。翌日、AMAスーパークロス観戦のため、Jimさんとロサンゼルスからラスベガスに向かった。
今後も彼との交流は続くであろう。


 

Mickey Dymond もMHPをライディング

Micky Dymondとの出会いは、'89ジャパンスーパークロス@大阪球場でした。その後の神宮球場大会に出場するために世田谷の店を訪れてくれました。彼のニーズに応える仕様のマシンを急遽製作。事前走行のため成田のコースに行った時、彼と一緒に練習できると会社を休んで来た人もたくさんいたくらい人気のあるライダーでした。

その後も、'91と'92年のジャパンスーパークロスに出場の際に、正式にMHプロダクツ(当時のMH MotoHouse)フルモディファイのマシンで出場。

神宮でのレース終了後、Dymondと数名のライダーから【最高のバイクとサポートを有難う。これは僕達からです】と言って時計をプレゼントされた。外国人ライダーで、しかもビッグな彼らからの気遣いには、すごく感激しました。

Jim HolleyMicky Dymondが、世界中の選手に弊社のモディファイの優秀性をたくさんアナウンスしてくれたことで、これ以降もたくさんの有名ライダーがMHマークのマシンで走行するきっかけになったと言っても過言ではない。


 

MHプロダクツと海外ライダー

  • 1990年 この年はPekka Vehkonenを迎えた。彼はフィンランド国内ではメディアに取り上げらるほどの有名人であった。Jimmy Buttonはホンダのバイクで出場するため来日していたが、弊社のバイクを試乗したいと来店。桶川スポーツランドで走行した後、翌年はMHPで走りたいとの要望があった。
  • 1991年 神宮球場にMickey Dymond、Jimmy Button、西宮球場にはJeff Grass、Jimmy Buttonが参戦した。
  • 同年には東京ドームでの開催もあり、Kyle Louis、Jimmy Button、Brian Monley、Tony Amaradio、Cris Young、Trejer Meajerなど6名のライダーをサポートした。当時、来日を希望するライダーが多数いたことで日本のモトクロスがいかに盛んであったかがうかがえる。さらにこの年、福岡RKB mediaパークにてニュージーランドのShane King、オーストラリアのCraig Duckをサポート。
  • 1992年 神宮球場、西宮球場ではMicky Dymond、Jimmy Button、Kyle Louis、Tim Ferry、Brian Monley、Frederic Bolley、Marnic Belvoetsをサポート。
  • 1993年 神宮球場、西宮球場ともにTim Ferry、Shaun Kalousをサポート。
  • 1994年 神宮球場Larry Ward、西宮球場Kyle Louisが出場。Larry Wardはバイクセッティングのためメカニックと共に世田谷の店を訪れた。「これから店に行く」との電話があった後、スマホが無い時代に地図を手に電車で来たのには驚いた。
  • 1995年~1997年 神宮球場、千葉マリンスタジアムでTim Ferryをサポート。千葉マリンスタジアムでは、レース前日が雨天だったのを理由に彼の希望で東急ハンズまでショッピングに連れて行ってあげたりと。当時、まだ若かった彼はご満悦だったことを思い出します。
  • Jimmy Buttonはその後、サンディエゴのスーパークロスで首を負傷し、車椅子での生活を強いられたが何年か後には車椅子無しでレース場に現れるまでに回復をした。彼はアメリカのスタジアムで会う度に近寄って来ては言葉を交わした。
  • Kyle Lewisは全日本全戦をスズキファクトリーとして活躍したが、彼もまた、コースで会うと挨拶をするため自ら寄って来てくれる。ウイニングランの最中、通り過ぎた後で戻って来たこともありました。

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